Bit by bit

変わるのは怖い それでも世界は変わっていく


これは、いつかは来るべきことだったんだ。

そうやって、自分を納得させようとした。
ずっと続くことなんて、きっとないから、こうして終わりを告げようとする出来事がやってくるのは仕方のないことなんだ。

いつもと変わらない窓越しの空を見上げて、あかりもつけずに暗い部屋でただ一人、ひたすらにそんなことを考えていた。


連絡が届いたのは、つい先日のことで、
いつもと変わらない毎日を、いつも通り過ごしていた自分にとっては、
頭から冷水をかけられたような衝撃を受けたのも事実だった。

もともと、いつかはやってくる終わりを隣に置きながら、過ごしてきた日常。
でも、それさえも忘れてしまうほど、この毎日が楽しいと感じ、
この毎日に純粋な幸せというものがあって、ああ、俺はいま、幸せなんだな、と、ふと、そんなことをおもっていたことも少なからずあった。

いつでも付きまとう終わりが、こんなに近くに感じられたことなんていままではなかった。
どれだけこちらが待ちかまえていたとしても、実際、すぐには事実を受け入れることなんかできやしない。

この連絡さえこなければ、幸せを感じ続けることができただろうか。
そんなことさえ、考えた。

あの場所に戻ってしまえば、ろくな幸せなんて、あるわけがない。
自分にとっては、忌々しくもあり、恐ろしくもあるあの場所に戻ることを、すぐに決めることができたら、それこそ頭がおかしくなったときだけだろう。

そう考えて、苦笑した。
こんなことを考えるなんて、自分らしくない。
普段の自分なら、そんな考えさえよぎることはないはずで。

怖いのか?

自分自身に問いかけてみる。

そして、自分で答えを返してやった。

ああ、そうだ。
俺はいま、怖いんだ。恐ろしくて、たまらないんだ。
この恐怖から、逃げ出したくてたまらない。

そうだ、と思った。

この連絡さえも、無視してしまおうか。
なかったことにして、また、幸せに溶け込んでしまおうか。

また、苦笑した。

やっぱり、弱い。
俺は、弱い。
いやなものから逃げ出して、恐ろしいものに背を向けて。

“そんなことは、弱虫がすることだ。”

ずっと昔、真正面から見つめてきた、紅色の瞳と一緒に、
あのときぶつけられた言葉を思い出した。

過去の自分も、いまの自分も弱虫で、小さくて、弱い。
やっぱり、変わっていないな、と思う。

溜息が出そうだった。自分の弱さに。
そして、これほどまで自分を苦しめているものに。


手をぎゅっと握りしめて、それから、ゆっくりと開いた。
その手を持ち上げて、手の隙間から空を見上げる。

どうすればいいんだろう。

そんな疑問が、浮かんで 消えた。




「来てくださるだろうか・・・」

連絡が取れたあの日から、ずっと思っていたことを口に出してみた。

声にしてみれば、何かが変わるとでも思ったのだろうか。
しかし、何とも言い表せないようなこの気持ちが変わることなど、いつまで待ってもこなかった。

あの方は、私のことを覚えているだろうか。
もし、あの方が覚えていないとしても、私はしっかりと覚えている。

陛下似の銀メッシュや、いつもきらきらと輝いていた茜色の瞳。

笑顔が、あの悲劇によって乱暴にも拭い去られてしまった少年は、
いま、どのようにして生きているのだろう。
笑って過ごすことができているのだろうか。

両親の温もりを、早くになくしてしまった少年は、
いま、自分の人生をどのように辿っているのだろう。
幸せをつかむことが、幸せをかんじることが、できているのだろうか。

考えれば、考えるほど、あの方に早くお会いしたいという思いが、強くなっていく。
会って、治める者のいなくなった国のことや、あれから皆がどう変わっていったのかをお話したい。
なにより、無事でよかった、その言葉を伝えたかった。

あの方のことが頭から離れたことなど、いままでで一度もなかった。
だから、いままで必死になって消息を追っていたというのに、あの方は煙のように消えてしまったのか、と思うほどに、姿をくらましていた。
さすが陛下のご子息だ、そんなことを思って呆れるように笑ったことなど、いままでで数えきれないくらいあった。

それから、あの方と連絡がとることができたときは、ようやく、とか、やっと、とか、そんな言葉より先に、無事でよかった、そんな言葉が浮かんできたのだ。
それが一番、あの方に伝えたいことなのだと、そう思った。

どうしてだろう。
来てくださるだろうか、そんな言葉を口にしてみたとき、どこか心の奥底で、
あの方は、来てくださる。 誰かがそう答えたように感じたのは。

どこにそんな自信があるのだろうか。
分からない。分からないが、あの方が来てくださると、自分の中で確信していた。

「きっと、あの方は来てくださる」

重い気持ちの上にかぶせるように、呟いた。
また、心の奥底で誰かが頷いたような気がして、自然と笑みがこぼれた。




あれから、ずっと、考えていた。

どうすればいい?

どれだけ考えても、答えは出ない。
どれだけ問いかけてみても、誰も答えを返してくれない。

どうせなら、ふと、そんなことを思った。

弱い自分を断ち切ってしまいたい。
いつまでも背を向けていないで、過去と向き合ってしまえばいい。




そして、私はあの方にお会いした。

たくさん伝えたいことがあった。
無事でよかった。この言葉と一緒に伝えたいことがたくさんあった。

しかし、本人を目の前に、たくさんのことが思い出されて、ふいに胸を突くように、たくさんの感情が湧きあがって来た。
涙だけはこらえようと、必死に手を硬く握りしめた。

「・・・アイラン」

呟くように、でもはっきりと、私の名を呼ぶ。
遠い記憶の中から探し当ててくれたのだろう。
なんとも感極まる瞬間だったと、いつ思い出してもそう感じる。

それから突然、視界がかすんだ。
一度溢れだすと、止まらなくなるのが涙というものなのだと、今更ながらおかしなことを考えた。
こらえるのも諦めた。
なんとも格好悪い話だが、いろんな感情のなすがままに、私は泣いた。

「殿下・・・よくぞ、ご無事で・・・」

ようやく絞り出した言葉に、かすむ視界の中で殿下が微笑んだのを覚えている。

私の涙が止まるまで、殿下は何も言わずに待っていてくれた。
それに安心したのか、私自身、しばらく涙を止めることもできずに泣き続けていた。


その日は、それほど時間もなく、多くの話はできなかった。
簡単に国の現状などの必要事項を話したあと、一つ、尋ねなければいけないことを口に出した。

「殿下、国へ戻られるご覚悟はございませんか」

殿下は、しばらくうつむいて考え込んだようすだった。
それから、まっすぐに私を見つめた。決心のついたようで、その瞳は揺らいでいない。

「戻る気は、ない。少なくても、今すぐには戻らない」

それは、はっきりとした声色で。これから私がなにを言おうと、その答えは変わらないだろう。

「今すぐには、ということは・・・」
「ああ、考えてはいる」
「本当ですか、殿下!!」

思わず声が大きくなった。周りの人々が、何事かと振り向く。
振り向いた人、一人一人に会釈して、なんでもないことを伝える。

「考えているだけ。・・・それから、」

思い出した、というように、殿下が口を開いた。

「殿下なんて、呼ばなくていい」
「しっ、しかし・・・」
「呼ぶときは、ガイアって呼んで」

そう言われて、いざお呼びしようとしても、なんとなく気後れする。
私のそんな思いが顔に出ていたのか、殿下が声をあげて笑った。

「無理しなくてもいいけど、殿下はダメな」
「分かりました。・・・ガイア様」

ようやくそう言って、頷いてみれば、殿下、いや、ガイア様が、困ったような、おかしいような、そんな顔を見せた。


しばらくして、ガイア様が壁際の時計にちらりと目を向けた。
それから、窓の外の空を見て、私に目を戻した。

「そろそろ夕飯時だから、帰らないと」
「ガイア様、普段のお食事はどうされているのですか?」
「・・・みんなで食べてる」

その答えに、私は心底ほっとした。
ガイア様もこうして食事を共にする仲間がいるのだと、安心した。

「では、後日また、お会いできますか?」
「ああ、また今度」

それだけ言って、ガイア様はひらりと手を振った。
だんだん遠くなっていく背中を、私はずっと見送っていた。




アイランと会った。

こうして過去と向き合う事で、少しは何かが変わっただろうか。
何かを変えることができただろうか。

言ってしまえば、何も変わっていないかもしれない。
なにをやったとしても、何も変わらないのかもしれない。

それでもよかった。
ただの自己満足だとしてもいい。

俺は、少しだけ、強くなったんだ。
過去と向き合おうとしない弱さに打ち勝って、強くなったんだ。
そう思った。

また、アイランに会うときは、もっとたくさんの話をするだろう。
今日のように、簡単な話、短い話、それだけじゃないはずだ。

いつかは国に戻らないといけない。
それは、いつもどこか考えていた。

アイランには、考えている、そう言った。
でも、戻る勇気なんて、なかった。
怖い。あの国が、自分が、過去が、怖くてしかたがない。

どうすればいいんだろう。

前と同じように、ただ静かに湧きあがって来た疑問が、今回は消えない。
ずっと、まとわりついてくる。

どうすればいいかなんて、分からない。
誰が答えを教えてくれるわけでも、答えを出してくれるわけでも無くて、
でも、自分だけでは答えが出せない。そんな気がした。




「ガイア様、お待ちしておりました」

お姿が見えた瞬間に立ち上がる。
すると、ガイア様が呆れたように溜息をついた。

「アイランは、なんでそんなに堅いわけ?」
「生まれつき、でしょうか・・・」

そんなことを聞かれている理由がよく分からなく、頭の上を疑問符が飛び交った。
そんな私を見て、ガイア様は苦笑した。

「生まれつき・・・だよな。やっぱり」

それから少し、遠い目をした。

「そういえば、昔からアイランはそんな感じだった」

なぜか、そこまで言って、微かに眉間にしわを寄せた。
かすかに苦しそうな、辛そうな、そんな表情も垣間見えた。

「ガイア様?」

思わず声をかけると、少しだけ慌てたように表情を元に戻した。

「なんでもない」

ガイア様がそう言うのなら、と自分を納得させた。
それ以上は深入りしない。


「はじめに、昨日は少ししか話せませんでしたが、国の現状を詳しくお話します」

国はいま、治める者がおらず、少々不安定な状況であること。
他国の侵略等はなく、その点では安全であること。
今でも、王の復帰を心待ちにしている者ばかりだということ。

国について、伝えるべきことはたくさんあった。
それをすべて、いや、限りなくすべてに近くのことを話したつもりだ。
ガイア様はといえば、話している間、なにやら考え込んだ様子で、何も言わない。

話し終わると、「分かった」と、一言だけ言い、続きを促した。


長く時間をかけ、ゆっくりとたくさんのことを話してゆく。
ガイア様はあまり口を挟まず、どこか上の空で聴いているようすだった。


大体のことを話し終わっても、やはり何も言わない。
その表情を少し見つめた後、ふと、とあることを思い出した。

「そういえば、許嫁でしたあの方も、ガイア様のおかえりをお待ちですよ」

そう口にしてみれば、ガイア様は、かなりの驚いた様子で私を見た。

「は・・・?」
「え・・・?」

思わず問い返してしまった。
ガイア様も既知のことであったはずなのに、これほど驚くのはどういう訳だろう。

「悪い。よく聞き取れなかったんだけど」
「いやあの、許嫁様も国でお待ちしておりますよ、と言ったんですが・・・」

「は・・・?」
「え・・・?」

「許嫁ってなにそれ聞いてない」
「先日お伝えしませんでしたか・・・?」
「いや?」

どうやら私の勘違いだったようで、ガイア様には伝わっていなかったご様子。

「でしたら、いつかお二人でお会いしますか?」
「それは・・・」

ガイア様が言葉につまる。
それほど国に戻るのが嫌なのだろうか。
それとも、他に何か理由があるのだろうか。
それとも・・・。

「考えとく」

たくさんの考えを巡らせていると、ガイア様の一言で遮られた。

「え・・・?」
「だから、会うのは考えとく。すぐには会う気ないから」

その答えで分かった。
ガイア様は、国に関することすべてを前向きに考えてくれている、と。
すべてを前向きに、いつかは国に戻ることを考えてくれている。

そう感じて、湧きあがるような感情が心の中に浮かんできた。
思わず、立ち上がり、ガイア様の手を握ってしまう。

はっとして、慌てて手を離すとガイア様がふっと笑った。
それは、こころの中があたたかくなるような笑顔で。
一度は離したはずのガイア様の手が柔らかく動いて、慌てて引っ込めた私の手をさっと包んだ。

「握手するんだったら、すぐ離すなよ」

的を得ているような、得ていないような、でも、優しい言葉をくれた。

すると、また、視界がかすんだ。
「ありがとうございます・・・」とだけ絞り出して、握られた手を握り返した。




「アイラン、じゃあまた今度」
「ええ。お待ちしております」

ガイア様は、ひらりと手を振り、
私は、その背を見送りながら、深々と頭を下げた。

以前と同じ別れ。
これから先も、こうして、変わることがないのだろう、そう思った。